安心して暮らせますように
地元の護国神社に行ってきました。
最近ではあまり聞かれなくなりましたが、ちょっと前までは北朝鮮からミサイルがちょくちょく飛んできて、戦争が始まるのではないかとか言われてました。
自分たちは他の国を攻撃するつもりはなくとも、戦争って始まるときには始まってしまうんですよね。
これって個人の関係でも言えるんじゃないかな。
自分は争うつもりはなくても、自分と他人の価値観の違いから生ずる心の衝突。これって全てといっていい程の人が経験する当たり前と言えば当たり前の事象です。
初期対処としては、こんな所でしょうか。
① 話し合いを重ねて双方の理解に努める
② あまり関わらないようにする
③ 他の人に訴えて味方を増やす
④ 舐められないようにさらに強く出る
争いにより多少なりとも傷ついた自分の心を守るため、人はいろいろな方法をとります。
さて、国は個人(国民)の集合体です。国同士も①~④みたいに対処します。
でも、歴史をつらつら見る限り、結局解決の最終型は戦争です。
個人でいうと、暴力 になるのかな。身体的暴力は自分の周りでは見かけませんが。
戦争と暴力。
痛みを与えることによって相手を屈服させる方法とでも言いましょうか。解決方法の一つではありますが…。
一方あるいは両方の生命、身体がボロボロにならないと決着しない…。
こんなことはできる限り回避したいものです。
戦争も暴力も長いこと積み上げてきた人間の知恵で回避はできますし、実際に何度かは回避できたのだと思います。
半年ほど前、ミサイルが着弾するのではないか?と日本中が心配しました。
ミサイルの着弾があるのかないのか? の究極的に正確な判断ができるのは、ミサイル発射する当事者のみです。当事者以外の専門家ができるのは、あくまで過去の経験に基づいた予想です。
これって何かに似てますね。
日本にたびたび起こる地震、水害、噴火などの「天災」です。
(天災は当事者とはいいませんが 笑)
「防災」
起こるか起こらないかについて言うよりも、「起こる」と想定して備えるべき、、という考え方は人災(=この場合ミサイル着弾を指します)も天災もどちらも同じとなばなんは思います。
「避難場所の確認を」「2週間の食料と水の確保を」なんて言われますが、突然のミサイル着弾も状況は似ています。ライフラインの寸断、身体の損傷などが考えられます。
"まさか!攻撃は同時に自身の破滅を呼ぶのにそんなことはしないでしょう。脅しているだけ!"
なばなんも半年前こんなことを思いながらも、内心ビクビクしながら過ごしてましたが、ある本をきっかけに「備えあれば憂いなし」を再確認することができました。
「ある本」についてはまた、別の機会に書きたいと思います。
この件での人災回避については、餅は餅屋で日本の優秀な専門家にお任せするとして…。
天災も人災も、いつ起こるかわかりませんものね。
そんなこんなで、今まで日本を護って下さったご先祖様がお祀りされているという、護国神社への参拝と相成りました。